千住物語 




















































































































2001/9/23(日) 南千住をたずねて
南千住といえば
小塚原刑場  徳川幕府 重罪者の刑場に宛てし所、昔は「浅草はりつけ場」と称せられしところ。
日本の近代医学発祥の地とするところ。

川魚問屋
青木屋のコッペパン
高層マンション ニュータウン

南千住PM1:00集合
 ふるさと文化館の 亀川さんが南千住、岡本さんがやっちゃ場の説明・案内をしてくれました
総勢20名
岡本さんのお知り合い2人・綾瀬の大工さん 夫婦・理科大関係3人・島田さんの旧友1人
葛飾区教育委員会1人・南千住在 住の方1人・前回参加された2人
荒居さん・島田さん・直江さん・大江さん・板倉さん 。出口(荒川ふるさと文化館から)


コース

延命寺~回向院~火葬寺跡~円通寺~庚申横丁~千住間道~千住製 絨所跡の煉瓦塀~荒川ふるさと文化館~スサノオ 神社~熊野神社~千住大橋~橋戸稲荷~やっちゃば~千住宿歴史プチテラス~ 鮒与・わかた薬局~喫茶蔵



小塚原刑場(首切り地蔵)
明治8年頃 医者であっても人体構造については、見られない時代。
小塚原処刑場において、処刑された死刑囚の人体解剖が行われることになり、3人の医師が役人に願い出た。
前野良沢、杉田玄白、中川淳庵
のは日本の医学の発展と人類の幸福を求め
外国渡来の解剖図を実際の人体と照合する必要性を説いたので役人も許可した。
漢方よりも西洋医学の正確な実証であった
のち、「解体新書」全4巻を完成した
学生さんが撮った写真の お地蔵さんの目が光っていました。空には円盤が・・・・・・・ヨウチェックヤ!!

回向院
骨通り、、回向院には、明治初年に廃止されるまでに、約二十余万の死者が埋葬されたという
地下鉄工事が行われたが、人骨やどくろが、続々と現れたので、厚く葬ったとのことである
幕末維新期に活躍した志士達の多くが眠っている

荒川ふるさと文化館
やっと 蔵研ご一行様と会えました。
岡本さんがいた!!!今日は地元代表
泪橋が涙橋になっていたので、これはいけませんよと ふるさと文化館の 亀川さんに指摘する岡本さんでした 

素盞雄神社

お宮参りの家族が記念写真を撮影中

今回 参加のご夫婦が ここで結婚式を挙げられたそうです。結婚35年目。
今も素盞雄神社は とても立派 本殿を見上げて とても嬉しそうでした


春には 俳句大会があります
芭蕉碑(千住の俳人 建部巣兆が座像を手がけるなど、千住宿に集う文人達により建てられました)
「瑞光石」富士塚のひとつ




熊野神社

千住大橋の守護神
大橋の架橋は難工事であり熊野権現に断食祈願をしてようやく完成したという
社殿は、橋をかけかえるたびにその残材で建てかえる例になったとのこと
ひっそりして、芭蕉の木がありました

伊奈氏のご子孫が、大橋のたもと 千住大橋に現在すんでおられるそうです









千住大橋 
昔の旅人にとってこの橋を渡ることは江戸を去る第一歩であり、また江戸入りの第一歩でもあった
将軍さん、芭蕉さん、日光参拝・参勤交代の大名行列とごったがえしていたそうな
慶応4年4月11日 未明黒木綿の羽織に小倉袴の旅姿でわずかの供廻りをつれてこの橋をわたったのが最後の将軍徳川慶喜公である
そしてその後をおうように明治夜明けの風が吹き流れたという


日光、奥州や水戸に通じる江戸の北の門
江戸が徳川の根拠地になって墨田川に最初に架けられた橋

江戸の防衛線として幕府はこれ以外の架橋を許さず、開府後60余年間、二番目の両国橋ができるまで、墨田川にはこの橋しかなかった

木橋時代の大橋は中高のたいこ橋であったが その橋杭だけは頑丈な犬槙が使用された
長さ六十六間、幅4間 柱杭(くい)は
(まき)とあるから当時の大工事
この槙材は仙台様伊達侯の寄進と伝わる 「伽羅(きゃら)よりもまさる千住の橋の杭」
架橋の工事奉行は、利根川、荒川の流路のつけかえをした冶水土木の大家 伊奈備前守忠治


船で深川の庵をあとにした芭蕉が、この橋のたもとに上陸して、百五十日、二千四百キロの大旅行へと踏み出した
元禄弐年からさらに百六十余年すぎた幕末の千住大橋の風景
(名所江戸百景・千住乃大はし・安政年(1856)7月

大正8年 家康入府直後の架橋以来、三百年近く水に耐えてきた頑丈な橋脚も、
18年の大洪水に流され、架けなおされた



昭和2年春、現在の鉄橋に変わった。橋脚なしの総アーチ式で最新型を誇った物である長さ92.5、工事費百四万円
昭和3年 都電が延長され千住4丁目まで開通

その都電もいまは無く、第二大橋(上り専用)も完成と時の流れをしみじみ感じさせられる









この大橋の 古い歴史は古い。
ここは 松尾芭蕉 奥の細道 旅立ちの地

千住歩きの皆さん なにを想っているのでしょう?
一句 詠んではいかがでしょう 

千住大橋の写真は 午前がよく撮れるようです





松尾芭蕉 おくのほそ道 矢立初の碑
大橋公園内
この川岸は船便の発着場でもあった
橋の下手は 将軍用の船着場・橋の上手は 一般の船着場
川越夜船
川越と江戸の間を定期的に就航する。
川越をおよそ午後4時頃出帆し、千住川岸へ朝方着く
寛永15年 川越の大火で類焼した東照宮の再建資材を芯川岸川を利用して
江戸から運んだのがおこりとか。三百三十余年の昔である
本格的なったのは、10年後 当初は藩の蔵米を江戸に運び
しだいに生活物資から旅客も乗せるようになった
馬の背で二俵、大八車でも5俵が精一杯の時に、この川越船は二百五十俵ずつ運んだというから有りがたさが身にしみるわけである。
鉄道の開通と水路改修で昭和6年通船停止となる


松尾芭蕉のおくのほそ道の第一歩もここからであった
「弥生も末の七日・・・・・千じゅと云所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の泪をそそぐ。
「行く春や鳥啼魚の目は泪」・・・・・・其日漸草加と云宿にたどり着きにけりは有名な出立の章

橋戸町稲荷神社
江戸末期から明治にかけ活躍した鏝芸の名工と言われた伊豆の長八のしっくい彫りがある
雌雄の狐を浮き彫りしている名品である
本殿の金庫式の内側の扉にあるので、平常は、見ることができません
青海波の屋根、正面にはかじやの彫り物が、狛犬ではなく きつねが座る

1998年12月、レプリカが完成しました。これにより、常時拝殿前に展示してあります
笠間不動産ホームページ内 千住橋戸町の橋戸稲荷神社の鏝絵
  
中央卸売市場足立市場

千住大橋が架橋たころから 川魚、青物、穀類等を取り扱い、正式に幕府に認められたのは 享保20(1735)年3月
神田、駒込の両市場と供に幕府御用市場となる。
河原町のやっちゃ場と尾竹橋の上手河岸にあった千住北魚市場の機能を吸収統合して開場したのは、昭和16年の秋

やっちゃ場

千住宿歴史プチテラス
やっちゃ場の看板
岡本さん。テレビ、雑誌、旅行誌など この頃 あちこちに登場。
岡本さんことやっちゃ場の案内人。 とてもなんてもんじゃない行動力 努力家 千住の巨匠
各家ごとに やっちゃ場の由来 屋号 地図などなどを  自分で作って設置した お方
字を書かれた方は岡本さんのお友達 もちろんボランティアです

今度は 芭蕉さんのおくのほそ道 矢立初の句を同じように作ってくれました。
近々 プチテラスのそばに お目見えします
http://www.ntv.co.jp/burari/000304/info5.htmlぶらり途中下車2000/3/4放送



鮒与の蔵

喫茶蔵
ここで、ゆっくりお茶コースと尺八とダンスのコースと別れました

尺八とダンス
4:50 5時から 始まるというので ダッシュで、船橋さん家を通って本氷川神社へ
なにやら ワンワン 大騒ぎ。犬が 異様なもの発見で大興奮、それの相手は 真っ白けの人間
ちいさな 犬には どう映ったのでしょう、そばに寄りでもしたもんだら、大変
子犬と真っ白人間のパフォーマンスでした

外人さんが見にきていると思ったら スタッフの方々
夕方 薄暗くなり 白い紙コップのなかの ろうそくが灯る 迷路のように同じ間隔で並んでいる
尺八の音色に カチカチカチとなにやら もののけ姫のコダマでもいるような音 
冷ややな風が スーーーと 静かな、おごそかな始まり、鈴の音とともに さっき見た 白い人間のダンス
東洋とも西洋ともいえない ダンスであった。観客のなかに飛び込む子供達の隣りに座り ”笑顔また笑顔”
困って どうしていいか 途惑う子供達でした。
20分ということでありましたが、アンコールがあり 1時間のショーでした。サブイよ~~~~~
この世界では、けっこうなお方達なのでしょう、集まった観客は 皆 楽しむというより なにか芸実鑑賞しているという
感じでもありました。
「そらけ」の去ったその後は、空気がひんやり 半袖では さむい9月の夕方のことでした。  
      
 



皆さんは また喫茶蔵に戻ったのでしょうか
今日は 快晴 9月にしては 肌寒い日でした 皆様 お疲れ様でした。

荒居先生が 綾瀬に拉致されたって???



出口は お仕事 お仕事 
最近静かなぶんぶくそばですが、店に戻るとなかは 忙しくて大混乱
日曜日はこうでなくっちゃね!!

今日のそば屋の出口のずっこけ話
出口は スタッフのおばちゃんがお休みだったので遅れてしまいました、 北千住駅にダッシュ、誰も居ない
やっぱり 集合場所が違った。島田さんにTELをして、南千住へ
 
南千住の5丁目のどこかにいるわけで、私のカンですぐに見つかると思いきや見つかりそうもない
確実な荒川ふるさと文化館より参加

こんなことぐらいでは 出口はちょっともめげませんよ。珍しいことではないので(^^)そんな私です
荒居さんのせいにしよう ね。!!南千住のバッハのコーヒー飲みたいな
南千住のことすっごく聞きたかったな~~~~~ 写真とりたかったな~~~~~~~


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