●千住大橋
 
千住大橋 せんじゅおおはし
  

隅田川(旧荒川、入間川、千住川)国道4号線に架かる橋
北岸は東京都足立区、南岸は荒川区
タイドアーチ橋、橋長 91.6m、幅員 24.2m
昭和2年架橋.。昭和48年下流側に新橋が架橋

今も昔も東北の表玄関千住大橋。
元禄2年松尾芭蕉は、深川から船に乗り千住に上がりおくのほそ道(奥の細道)へと旅立ちました。
江戸から東京に至る波乱の近代史は天正十八年(1590)八月一日。
家康が関東の葦が生い茂る寒村の江戸に第一歩をしるした瞬間から始まりました。
1大橋架橋後、奥州・水戸・佐倉・日光街道千住宿は、慶長2年(1597)宿駅に指定され、目覚ましい発展をとげます。

最初の橋が架かったのは徳川家康が江戸に入府4年後の文禄3年(1594)のことです。
隅田川では最も古く両国橋は60年後に架けられています。長さ六十六間(120m)、幅六間(11m)
最初の橋は現橋の位置より200m程上流の橋戸稲荷神社の裏手に架かっていたといわれます。
柱杭は槇材が使われ仙台様伊達侯の寄進と伝わり「伽羅よりもまさる千住の橋の杭」という川柳が残っています。
この架橋の工事奉公は伊奈備前守忠次。大橋の架橋は難工事であり、熊野権現(現荒川区)に断食祈願をしてようやく完成されました。

その後数回の架け替えを経て、架橋場所も現在地に移ったことが記載されています。
旧来の広重に描かれた木橋最後の改修は、明治18年の洪水による流失が原因でした。
北の関門、千住大橋は徳川慶喜が山岡鉄舟に送られるまでの江戸300年を見守ってきましたが
昭和2年、大正震災後の都市計画で木橋から近代的鉄橋タイドアーチ橋「千住大橋」へと架け替えられました。

 
     
 木橋旧千住大橋  熊野神社  大橋というこだわりだろうか
 ●千住大橋の歴史
 
 1590年 徳川家康、関東に入る 
 1594年 千住大橋架橋 
 1597年 千住宿が宿駅に指定される 
 1603年 徳川家康が征夷大将軍となり幕府を開く 
 1617年 入間川洪水で流出しそうに
 1617年 徳川家康駿河湾久能山から日光山に改葬 
 
 
 
 ●江戸時代、隅田川(旧荒川)に架けられた五つの橋

 1594年  文禄3年 千住大橋 
 1659年  万治2年  両国橋
 1693年  元禄6年  新大橋
 1698年  元禄11年  永代橋
 1774年  安永3年  吾妻橋

 ●千住大橋と松尾芭蕉おくのほそ道
 
おくのほそ道 5月16日(旧3/27)

彌生も末の七日、明ぼのゝ空朧々として、月は在明にて光おさまれる物から、不二の峰幽にみえて、上野・谷中の花の梢、又いつかはと心ぼそし。むつましきかぎりは宵よりつどひて、舟に乗て送る。千じゆと云所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の泪をそゝぐ。
  行春や鳥啼魚の目は泪 
  (鮎の子のしら魚送る別かな)

是を矢立の初として、行道なをすゝまず。人々は途中に立ならびて、後かげのみゆる迄はと、見送なるべし。

 千住大橋北岸国道四号線を渡る
旧日光街道へ
 大橋公園 芭蕉句碑  千住大橋橋詰テラス
蕪村奥の細道旅立ち壁画
 千住大橋から深川方面を望む
     
 
 ●千住大橋と浮世絵
 
   
 
錦絵「日光御街道千住宿
「日本無類楠橋抗之風景本願寺行粧之図」
 橋本貞秀画 慶応元年(1865)
 
錦絵「名所江戸百景 千住の大橋」
歌川広重(初代)画
   
 ●千住大橋の橋杭で作られた 彫刻家:富岡芳堂
 
 ●千住大橋の塗り替え

千住
 
 
平成17年 1/17~3/28まで
千住大橋 古くなった塗装を塗り替えています。
 
  リンク
bridge watching  千住大橋
東京の下町を流れる川・運河に架かる橋の歴史や現状詳しく解説していらっしゃるHPです。
 
 千住物語