千住の歴史年表

今からおよそ5千年前 足立区は海でした。2千年前頃、今とほぼ同じ地形ができ、人が住み始めました
足立区にとって、川は生みの親でもあったが、ひとたび荒れると、それは仕末におえないものとなった。
足立区の発展は、この川との戦いのうえで築かれてきた

千住の町の起源は古く千余年の昔、醍醐天皇901~22年に始まったと伝えられます

千住の歴史
関東ローム層の大地ができる
足立区は浅海
武蔵国足立郡の記録
西新井総持寺創建
907 千寿の地名おこる
938 平将門の乱
1159 平治の乱
1185 江戸重長 武蔵守護となる
 足立遠元あだちとおもと 足立の地頭となる
1189 千住関屋に関所を設ける
1221 承久の乱 足立氏出陣
1590 千葉氏 足立の領主となる
1590 徳川家康 江戸城に入る
1591 千住村 検地
1594 千住大橋完成
1604 千住宿と六月に一里塚できる
1616 荒川提できる
1625 千住宿が日光道中の初宿となる
1689 松尾芭蕉 千住より奥の細道へ
1800 俳人秋香庵巣兆が掃部宿に移住
1890 千住馬車鉄道営業開始
1895 土浦線田端~土浦開通
1896 北千住駅設置
1899 東武北千住~久喜間開通
1920 区人口 60780人
1922 西新井橋完成
荒川提の桜天然記念物に指定
潤徳学園創立
1930 千住郵便局できる 荒川放水色完成
1933 京成電車上野~成田開通
1943 東京都足立区となる
1947 東京23区となる
新制中学校設置(1中~14中)
1948 第15中学校創立
1950 第16中学校創立
1963 地下鉄千代田線開通
西新井大師
佐野、川崎と並び、日本三大大師の一つに数えられる西新井大師は、826年 弘法大師(空海)の創建と伝えられています。
弘法大師が全国行脚をしていた頃、東国に疫病が流行し、人々は大変苦しんでいました。足立に立ち寄ったとき、大師は夢で十一面観音のお告げを聞き、自らの手で刻んだ十一面観音像をお堂に祀り、全て災いを背負わせた自像をを井戸に沈めました。すると疫病はたちどころに消え、村に平和が訪れたとのことで「西新井」の地名が起こったと戸も言われています。
足立と源氏
938年 春 武蔵国に、興世王と源経基が軍を率いて入り込み、民家を襲った。
興世王と源経基と武芝の対立を和解させるべくのりだしたのが平将門。
源経基は興世王と平将門の謀反を朝廷訴えたのです。これを契機に、将門は国家的な反乱である、平将門の乱へと発展していったのです。

足立区には 源義家にまつわる伝説が数多く残されています。
足立遠元は足立郡の地頭にになり、源義朝に従ったことが「平治物語」に書かれています。

安部一族鎮圧のため奥州に向かう途中、源頼義、義家父子は 野武士に攻められましたが、鶴岡八幡(現在元八幡)に祈り 勝ことが出来ました。義家はこの地に八幡宮を建て隣に寺を建立し、戦死者の供養をしました。このあたりを 六月と呼び、寺を炎天寺となずけました。

源頼朝の奥州平定後、軍功の会った、江戸重長が武蔵国の受領に任命され。奥州地方の防備のために千住の地に関所を設け、あたり一帯が「関屋の里」といわれいます。古来、関谷の里は景色の美しい地として、おおくの歌人、俳人が訪れています。藤原光俊・葛飾北斎
千住と徳川幕府
豊臣秀吉の小田原城攻めにより、1590年に後北条氏が滅びると関東6カ国は秀吉により徳川家康に与えられ、これにより 足立周辺は徳川氏に直接支配され 1597年には千住宿が宿駅に指定され、1594年 伊奈忠次により、荒川に千住大橋が架けられました
千住大橋
隅田川(当時 荒川)千住大橋ができたのは 今から400年前のこと。家康が江戸に来て4年目のことです。この時代 敵の侵入をふせぐため、川に橋をかけないのが 普通でしたが、関八州を支配していくのに、ここに橋がないと不便だと家康は考えたようです。監督にあたったのは、当時農民や江戸町民の神仏のように敬われていた 初代関東郡代の伊奈忠次。その名のとうり”荒れる川”での工事は、難事業、忠次が断食をして熊野権現に工事の成功を祈願したと残っています。